あくたばろぐ

作者の人格と作品を分けて考えられないひとは見ない方がいいです。

ショスタコSQの全集が届いてちょっと正気を取り戻してきた。

 

パシフィカSQの全集なのだけどもBox化されてるほうじゃなくてバラで出てたやつをわざわざ一枚ずつポチっていたというなんともまぁななんともまぁです手にはいればもうなんでもよい。

 

 

こっからどうでもよい妄想話

かいはCDを入手しないと曲を聴かないたちなのでショスタコSQは7と8以外聴いてなかったのもあって今回を期にSQ全曲の作曲時期の照会もしました。交響曲と同じく全15曲で、作曲時期は同じ番号の交響曲とは特に合致しないということを、これから述べる妄想の前提としていただきましょう。

 

現在ショスタコ核たちは全員男性型ということで、交響曲だけきいてるとこのままショスタコ核には女子が出てこないのでは……というなんだかもったいないな感を抱いていたかいさん。でももし、交響曲15兄弟で、それに対抗(?)してSQ15姉妹だったらめっちゃいいのでは!?と思い付いたかいさん。時代合致しないとは言え、どっちも病んでる8番とか、時代合致し始める14番以降とか、15年ぐらい離れる1番同士とか、なんだかとっても楽しそう。そうだSQ女の子だ!ショスタコ女子を量産するのだ!と意気揚々の現在のかいさん。

しかし考えてもみてほしい。

そもそも性別観のうす~い曲擬たち、キャラデザ中にいくらでも性別逆転したりずっと男の子or女の子のつもりでキャラデザしてたのにいざ出来上がってみると逆にしか見えない時の多さ、常につきまとう「性別とかどうでもよくね……?」の諦め……

今現在これをかいているときはショスタコSQは女子がいいという考えがあったということはたしかだということで、本当にそうなるかは出来上がってからのお楽しみでしかないのである。非常に、残念ながら。

 

でもほんとに女の子がいいなぁ……キャッキャウフフしたいなぁ……いいなぁ……

 

でもSQ8番がもう男じゃないとしっくりこない気がするのである。

あれ女の子ってなると曲者でしかなくない?解釈とあわない。

というかこの辺の時期に書かれた曲は暴力的というかこう破壊的な表現の多いものが目立つのでこう……存在の定義からして曖昧そうなかんじがするのであります。存在の定義は言い過ぎか、なんか自我がやばいみたいなそんなかんじの……そういう時期だから当然といえば当然なのですが。